記憶はどこへいくのか。

 




いつかの雄一郎さん




雪の日は家にこもって

あの人やこの人を想い浮かべるとあたたかい。

冬は、そういう心の栄養を反芻しながら

目に見える、見えない

なにかに生かされていることを

一際感じる季節です。

この冬もいい冬だった。




小麦粉を水で溶いて

いただいたふきのとうを潜らせて天ぷらにしました。

新潟にも春が来ています。


揚げ物をするときは「音を聴く」。

これを瞑想センターで雄一郎さんに教えてもらって、

今も思い出しては実践しています。

油のなかで水分がはじける音に耳をそばだてて、

トーンが変わったところで引き上げる。

うまくいった!と思うときとそうでない時がありますが、

音も匂いも感覚も

みようとしてはじめてみえてくるものなのだなとわかりました。




この瞬間を一生懸命生きていると、

過去のさまざまな出来事や思い出を

少しずつ忘れていきます。

自然に、ゆっくりと、

忘れながら生きています。


忘れてしまったことは

なかったことになりますか?


きっと

それはどこかへ消えてしまったわけではなく、

わたしの深い部分に染み込んでしまったんだ

とおもいます。

いまここに在るわたしの一挙手一投足は

過去の膨大な記憶によるものだ。

あの人やこの人がわけてくれたものだと

感じるからです。


ほんとうに身体が「理解する」とき、

それは忘れたときなのかもしれないと

天ぷらを揚げながらぼんやりおもいます。