すいか日記。





七月。

湿気に満ちた日々。


近ごろは

ご縁あってすいかのお手伝いに行っています。

きのうまで知らなかったひとたちと、

「またあしたね」と笑い合うのがふしぎでたのしいです。


お互いに今日まで生きてきたこと、

その人生の端っこで

ゆるやかに繋がっている縁の可笑しみ。

人と人が急速に近づいたり、離れたりしながら

旅をするように暮らしています。


割れてしまったすいかをいただいて帰って

カットして冷蔵庫に押し込むと

今日のたいていのことは乗りきれる。




日に何度か

慶大くんの死と、その生き方を反芻しています。

死に方は生き方なのだと感じると同時に

それは志生観でもあり、

わたしも生きることをめいいっぱい志していきたいと

そんなふうに思います。


あしたなにが起きるか

だれにもわからないけれども、

伝えたい気持ちがあれば

思い立ったときに口にしたり、

会いに行ったり、お手紙を書いたりするようにしています。

時にそれが耳に心地よくない言葉だとしても。


かつてわたしがそうしてもらったように

根っこのところに純粋な愛があれば、

言葉は

十年後、二十年後に

ふと芽を出す瞬間があるからです。