はなれていても両想い。
生姜稲荷と茗荷稲荷。
私も順調に齢を重ね、おばさんになり、
甥っ子や姪っ子との関わりを通して
コミュニケーションの楽しさについて考えています。
人見知りの時期のこどもとの
微妙な距離感というのは愛おしいですね。
言葉を交わさなくとも、
なんとなくお互いを意識し合いながら同じ空間で過ごす。
ことばでうまらない距離は、
時間と意識の積み重ねで育っていくのですね。
志都さんちでぼーっと横になっていた私の背中に
ミー助が乗っかって来てくれたときもそう。
ミー助。
はなれて 疎遠になってしまっただれかのことを
時々「元気かな」と思い出すとき、
意識で交わし合うような間柄にはつづきがあり
関係は積みあがっていくのだなと思います。
はなれていても、どこかで想いあっていると思うなら うれしくなります。
瞬発力はないけれど、
じっくり付き合うよろこびを知っています。
Comments
Post a Comment