はなれていても両想い。



生姜稲荷と茗荷稲荷。


2015年にも人付き合いのことについて記事に書いていました。


私も順調に齢を重ね、おばさんになり、

甥っ子や姪っ子との関わりを通して

コミュニケーションの楽しさについて考えています。


人見知りの時期のこどもとの

微妙な距離感というのは愛おしいですね。


言葉を交わさなくとも、

なんとなくお互いを意識し合いながら同じ空間で過ごす。

ことばでうまらない距離は、

時間と意識の積み重ねで育っていくのですね。

志都さんちでぼーっと横になっていた私の背中に

ミー助が乗っかって来てくれたときもそう。

ミー助。


はなれて  疎遠になってしまっただれかのことを

時々「元気かな」と思い出すとき、

意識で交わし合うような間柄にはつづきがあり

関係は積みあがっていくのだなと思います。

はなれていても、どこかで想いあっていると思うなら うれしくなります。


瞬発力はないけれど、

じっくり付き合うよろこびを知っています。

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