さいたまからお友だちが来ていました。

初めて見る尺八は、

真竹の根元から七節のところでスパッと切っただけの素朴なもので

ほとんど竹そのものだなあと思いました。

シンプルな自然の造形だからこそ

楽器として完成されるまでには長い年月がかかるのだそうです。


すんなり音を出すのがなかなかむずかしくて

ちょうどよく鳴ったときには

なんとも言えない高揚感があります。

七節分、身体がびよーんと延長されたような

楽器と身体とが一体になるような不思議な体感。


プロのクライマーであり尺八奏者である彼は

三ヶ月前心臓の不調で倒れて奇跡的に命をつなぎました。

ペースメーカーを入れるか、生涯薬を飲み続けるかという選択のなかで

食事と運動による治療の道を選んで

新潟へ足を運んでくれたのでした。

一日いちにち死の恐怖と向き合いながら

いのちの淵から立ち上がったその顔は、

いつになく穏やかで

ますます角のとれたやわらかなものでした。


「心臓が止まって

意識のないあいだは暗闇にいて、

自分たちは光というエネルギーがあってはじめて

対象を認識できる」という話が興味深かった。


わたしたちはみんな暗闇という背景を背負いながら

微細なひかりでお互いを照らしあっている。

そうやって存在しているおもうとあたたかな気持ちが湧いてきます。


朝ご飯の支度をしているそばで

小気味よい尺八の音色が響ています。

夢のような日々。

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